第10回 関西クィア映画祭 2016
10th Kansai Queer Film Festival 2016

~ 歴史をつくる これからも わたしたちも ~

開催日

  1. 大阪会場(とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ)
      
  2. 京都会場(京都大学西部講堂)
      

メッセージ

京都大学文学部教授・社会学 伊藤公雄さん

イタリアのレズビアン・ゲイ映画祭の思い出

1981年か2年のことだから、もう35年ほど前のことだ。そのころ、イタリア政府給費留学生としてイタリアに留学した。京大の大学院博士課程も一応修了していたため、単位ももう必要ない。というわけで、ミラノ大学に籍をおいてフィレンツエに住んでいた(奨学金をもらうのととりあえず授業にも顔を出すために月に一回、ミラノ往復をしていた)。

若者の反乱がまだ継続していたイタリアでは、各地で、自前の若者の文化創造と受容の動きが存在していた。空き地にスクリーンを張り映画上映が行われたり(突然の雨により途中で中止という経験もした)、さまざまなスペースを使った映画上映や演劇の上演などもよくあった。

こうした活動が大好きだったぼくは、あちこちの自主空間に出入りし、たくさんの演劇や映画を観た。なかでも印象的だったのは、レズビアン・ゲイ映画連続上映会だった。日本では、まず考えられなかった同性愛・両性愛ものを中心にした映画フェステイバルだ。今でも、いつつかの印象に残ったシーンを思い出すことがある。「こんなフェステイバルが日本でもできたらいいのにな」と思ったものだ。

関西クイア映画祭も今年で10回目、時代は変化したものだ。盛会になることを祈っている。

年を取ったこともあり、ここ数年、イタリアを軸に1970年代以後の若者の自主管理空間について調査をしている。ちょうどぼくが留学していた頃に広がった「社会センタ―」はその代表例だろう。今でもイタリア全土に数百の規模で存在しているこの社会センタ―は、多くは空き家や空き工場、空き市場などを占拠し、自主管理で政治活動や文化活動の拠点とする動きだ。

日本も、1960年代70年代には、京大西部講堂のような助手管理空間が日本中に存在していた。それが1970年代の消費文化の爛熟のなかで、自前の文化空間=自主管理空間がどんどん消滅していった。

これから日本の経済も下り坂に入る。1970年代のヨーロッパの若者たちが生み出してきた「自前」の文化活動、生活支援の動きは、今後、日本でも再度広がらざるをえないだろうと思う。

関西クイア映画祭は、そんな新しい動きの先駆けになりつつあるのかもしれない。