第10回 関西クィア映画祭 2016
10th Kansai Queer Film Festival 2016

~ 歴史をつくる これからも わたしたちも ~

開催日

  1. 大阪会場(とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ)
      
  2. 京都会場(京都大学西部講堂)
      

関西クィア映画祭とは

性にあたりまえなんてないよ

あなたはどんな性別で暮らしていますか?

恋愛やセックスは好きですか?どんな恋愛やセックス、人との関わり方をしていますか?

「男らしさ」や「女らしさ」が期待されることに、しんどくなった経験はありませんか?

こういった「男女という制度」の枠組みから出て、自分らしい性を生きている人たちが、既に沢山います。典型的であってもなくてもいい、変 (=クィア) でもいい、性のあり方は多様だ、私たちは生きていける。今回で10回目を迎える関西クィア映画祭は、そんなメッセージが溢れる映画を上映する「みんなのお祭り」です。

ところで「クィア」ってなんですか?

ひとりひとりが自分の性や生き方を選び決めていこう、規範の押し付けに反対しよう、というメッセージです。

「クィア/queer」は、性の領域で「ふつう」ではないと考えられている人々への蔑称として使われてきた英語でした。これを逆手にとって使うことで、様々な少数派を肯定し、「ヘンでもいい」「不一致は私たちの豊かさだ」と差異の権利を主張し、LGBTだけでなく「普通ではない」「典型的でない」生き方をポジティブにとらえ直す意図があります。

「歴史をつくる これからも わたしたちも」

第1回映画祭の開催から11年が経ち、最近は「同性婚」「LGBT」も有名になりました。しかし、男性、シスジェンダー、日本人、健全者、お金持、大企業…つまり「私たち」のなかでも権力を持っている者の都合が優先されるしくみは、実は以前とあまり変わっていません。「みんな」にとってより公平な社会をつくるために、これからも、私たちも、問題提起を続けていきます。

タイヘン×ヘンタイ

性別や恋愛のあり方、生き方は多様だー私たちはそう思って集まります。しかし時間を重ねると、私たち自身も他者の性のあり方に無知だったり、時には受け入れ難いことがある、と気がつきます。また私たちの間にも、性とは別の面での差別(民族、障害、社会的地位など)もあります。「少数派の中の少数派」を作ってしまうことや、限られた資源の中で優先順位をつけること、身近な差別・抑圧への無関心は、現に私たちの間にもあります。本当にそれらと向き合い、多様性を手に入れるのはとても「タイヘン」なのです。

最近は「LGBT」の用語が流行りですが、私たちは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、ヘテロセクシュアルといった簡単な言葉では表しきれない存在です。恋愛対象の性別や自身の性別が、個人の人生の中で「変わる/変態する」ことだってあります。さらに「フツーのヘンタイより、とってもヘンタイ」でありたいという思いも含まれています。

【タイヘン×ヘンタイ】のキャッチコピー、「私たちはひとりひとり違っている、という現実に向きあうんだ!」という心意気を表現するには、ピッタリの言葉だと思いませんか?

ことばの説明

異性愛/ノンケ/異性愛中心主義/ヘテヘテ
異性を性愛の対象にすることを「異性愛(ヘテロ)」、そういう人のことを「異性愛者」、その俗語が「ノンケ」。異性愛を自明視し無意識のうちに優遇する社会と個人のあり方を「異性愛中心主義」、これらに鈍感なことや人を「ヘテヘテ」。
トランスジェンダー
出生時に振り分けられた性別とは異なる性別で生きようとする人。性同一性障害の人も含む幅広い言葉。
Xジェンダー
性別二元論の枠組みから外れる立場、あるいは両性、中性、無性などの名乗り方。また、女/男のいずれかを選ばせられることに反対する考え方。英語の「genderqueer」や「gender nonconformity」に近い。
トランス男性 / トランス女性
女性として扱われたり女性として暮らしたりした経験を持つ男性と、男性として扱われたり男性として暮らしたりした経験を持つ女性たちがいる。そういったひとたちはそれぞれ男性 / 女性である。性別の移行に焦点を当ててトランス男性 / トランス女性と呼ばれることもあるが、こう自称する場合、理由は様々でひとくくりにできない。
フェミニズム
今の社会には「男女という制度」や「女性差別という社会構造」があるという事実認識を前提にして、性別に基づく差別や抑圧に反対するという考え方。

スタッフ